イントロダクション

s842009-05-29


“昭和の闇” 最後の生き証人が、私たちに語りかける。


飯田進さん86歳。 横浜で一人暮らし。

飯田さんは、青年時代の全てを
「戦場」と「牢獄」で過ごしてきた。
戦後60余年に渡り、問い続けた「戦争」を
後世に伝えようと、今も執筆活動に励んでいる。


そんな飯田さんのもう一つのライフワークは障害児童福祉。
きっかけは長男のサリドマイド薬害による被害。
スガモプリズンから釈放された後、
“遅れてきた青春”を謳歌していた矢先のことだった。


大東亜戦争BC級戦犯、スガモプリズン、
原子爆弾サリドマイドC型肝炎……
「昭和の闇」の数々を一身に背負わざるを得なかった
1億3千万分の1。
飯田さんは、時代や社会、家族、そして
自分自身とどう向き合い、どんな選択をしてきたのか−−


昭和84年 (2009年) となった現在もなお、
未来へ何かを残そうと、懸命に模索を続ける姿を記録した
“最高齢の青春ドキュメンタリー”。



大東亜戦争とは?】
太平洋戦争の呼称の一つ。
大東亜とは、東南アジアを含む東アジアを指し、当時の日本はこの戦争を、
アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した。
飯田さんが赴任したニューギニアには、
20万人以上の将兵が投入され、生還者は約2万人。
死因の多くは戦闘によるものではなく、マラリア等の感染症と飢餓であった。


【スガモプリズンとは?】
現・池袋サンシャインシティに存在した東京拘置所の前身。
戦後、GHQ(連合国総司令部)により接収され、
侵略戦争を計画・遂行した罪に問われたA級戦犯
捕虜に対する虐待等の罪に問われたBC級戦犯
合わせて延べ4000人あまりが収容され、東条英機元首相ら61人の死刑が執行された。
近年、話題となった“私は貝になりたい”の舞台としても知られている。


サリドマイドとは?】
1957年にドイツで開発された睡眠・鎮痛薬の名称。
つわりにもよく効くということで数多くの妊婦に服用されたが、
副作用で胎児に奇形(四肢の短縮など)が生じ、世界的な薬害事件に発展した。
日本では、初めての薬害に関する裁判として、
1963年に国と製薬会社を被告とした裁判が始まり、1974年に和解が成立。
309名をサリドマイド症候群として認定した。